Valse des fleurs



部長は「花がない」と言ったけれど、俺には彼女は小さな蕾に思えた・・・・















芹沢睦が休憩がてら菩提樹寮に戻った時、庭にその姿を見つけたのはほんの偶然だった。

学生寮とは思えない程優雅な作りの菩提樹寮には、緑の多い庭がある。

籐製の長いすなどが丁度いい木陰に置いてある事もあって、土岐がそこにいることも多いのでもしいるならお茶でも入れようかと思って芹沢は庭を覗いたのだ。

しかしいたのは神南の月下草を思わせる副部長ではなかった。

燦々と降り注ぐ真夏の日差しの下で、星奏学院の制服を着た小さな背中。

顔は見えないが、菩提樹寮にいる女子は二人だけで、しかも特徴が大分違っているので間違いはない。

(あれは・・・・)

「地味子」という部長のつけたあだ名が頭をよぎって芹沢は軽く頭を振った。

彼の部長であるから、そんな事が言えるのであって芹沢が呼べば大層な失礼にあたるだろうから。

(小日向かなで、さんでしたか。)

事前に調べていた情報を脳の引き出しから引っ張り出して、呼び間違えないように反芻する。

ふ、とその時、一緒に調べた彼女の経歴が思い出された。

(いくつかのコンクールの入賞や優勝経験。短期留学の経験まであったはず。)

セミファイナルで当たる高校について調べた時、かなでの経歴を見て正直、芹沢は驚いた。

こんなに華々しい経歴を持っているにも関わらず、まったく知られていない演奏者がいたのか、と。

しかしもっと奇妙なのはその後だ。

(でも、そのすべてが10歳を境になくなっている、か。)

そう、小日向かなでの名前は彼女の10歳を境にピタリとどこにも出てこなくなる。

それがどうにも芹沢には奇妙に思えて仕方なかった。

(もし子どもの時だけもてはやされる才能だったのなら、もっと緩やかに消えていっておかしくない。)

ヴァイオリンをやめてしまったというのならまだわかるが、かなではずっと弾いていたらしいのだから、なおさらだ。

しばし考えて、芹沢は足を庭へ向けた。

別にそれほど大した理由はなかった。

ただ、そんな奇妙な印象を残す少女が今、庭先で何をしているのかが少し気になっただけだった。

さくさくと芝生を踏む音がしたけれど、かなでは振り返らない。

「・・・・何をしているんですか?」

「ひゃっ!?」

しゃがんだままのかなでの後頭部に声をかけた途端、かなでが大きく跳ね上がった。

危ういところで顎への直撃を避けた芹沢と、飛び上がって振り返ったかなでの目が合う。

「あ、せ、芹沢くん!?」

「すみません、驚かせましたか。」

「あ、ああ、急に声かけられたから。」

驚きすぎた自分を誤魔化すようにかなでは笑った。

その笑顔に少し陰りがあるような気がして、芹沢はなんとはなしに口を開いた。

「何をしていたんですか?」

「え?」

「先ほどからしゃがみ込んでいたようなので。」

「あ・・・・」

言われて自分の姿を見られていた事に気が付いたのか、かなでは今度は困ったように笑った。

「花を見てたの。」

「花、ですか。」

苦笑するようなその言い方に、芹沢はすぐに何を言っているのか思い当たった。

「部長に言われた「花」を探して?」

「・・・・今、単純って思ったでしょ?」

不満げな目でかなでに見上げられて、芹沢はぎくっとした。

実際それに近い事を思ったのは否定できないからだ。

「単純というか・・・・素直ですよね。」

少し柔らかい形に言葉で言い表したら、なんだかそれがピタリとはまった。

「素直?」

「ええ。」

ああ、そうだ、素直過ぎるのだ、と。

いくら千秋が実力の持ち主でそれに見合った態度なのだとしても、真っ向から自分の演奏を否定されれば腹をたてておかしくない。

それなのに、かなでときたら完全に真正面からそれを受け止めて、「花」を探そうとしているのだ。

(俺がこんな事を思う義理はないんだけど・・・・)

妙に心配になる、となんともいえない複雑な気分になる芹沢に対してかなでは「そんなんじゃないよ」と笑ってまた花壇に向き合った。

「違うの。ただ何となく、東金さんが言うのが正しいかなって気がするから。」

「貴女の演奏には「花」がない、ですか?」

「うん。」

あっさり頷く彼女に芹沢は少し戸惑った。

こんなにあっさり自分の音を否定してしまって大丈夫なのだろうか、と。

だからついこんな言葉が零れた。

「貴女は、部長のように弾きたいんですか?」

「え?」

ビックリしたようにかなでは振り返る。

ややあって、かなでは小さく首をかしげた。

「それは無理かな。」

「え?」

「東金さんみたいな音って言われても真似できないでしょ?あんな風に強くて存在感がある音は私の音じゃないと思う。」

そう言われて芹沢は頷いた。

かなでの音を何度も聴いたわけではないが、その数少ない経験からも千秋とかなでの音の種類がまるで違うのはわかる。

それ故に「花」を探そうとするかなでが芹沢には奇妙に映ったのだが。

「うーん、何て言えばいいのかな。」

少し考えるようにしながらかなでは花壇に目を移した。

「ほんというと、「花」って何なのかも、何を変えればいいのかも全然分からない。でも東金さんが言っている事はわかったの。私の音には「何か」が無いんだって。」

そう言いながらかなでは花壇の花に目を滑らせていく。

向日葵、鉄線・・・・色とりどりの花たち。

「技術はあるけど、無色透明・・・・そんな風に言われた事もあるから。」

何でもないことのように言いながらかなでが苦しそうに目を細めた事に芹沢は気が付いた。

咄嗟に何か言わなくてはいけない、と思ったけれどそれより先にかなでが口を開いた。

「昔はね、何かあったの。ヴァイオリンを弾く度にキラキラ輝く何かが。私はそれが大好きで、ヴァイオリンを弾く度に本当に楽しかった。・・・・いつから、なくなっちゃったのかわからないんだけど。」

最後にぽつり、とそう付け足して。

それから何かを振り切るように勢いよく芹沢の方を振り返った。

風に舞って明るい茶色の髪が膨らむ。

そして向けられた笑顔 ――















「だから、探してみようと思ったの!私の「花」。」















―― 目を奪われた。

そして同時に自分の認識が間違っていた事を知る。

素直な少女だと思った。

何もかも正面から受け止めてしまう、少し心配な演奏者だと。

でも・・・・違った。

(・・・・この人は探しているんだ。)

かつて自分が持っていたであろう音色を。

どこまでもどこまでも貪欲に音楽を追いかける事で、失ってしまったものを取り戻そうとしている。

それが楽ではないことは多分自分でもわかっているのに。

妥協するでも、他の道を探すでもなくあえて何もかもを受け入れる事で、追い求めるものを手に入れようとする。

それは、なんて。

(強い。)

初めて、芹沢はかなでと同じステージで戦う事を怖いと思った。

それは今まで千秋と土岐と共にアンサンブルを組んで以来、初めて感じた感覚だと言っていい。

そして同時に。

(・・・・目が、離せない。)

たかが10日間、されど10日間。

脇目もふらずに懸命に音を追いかける彼女は一体どこまでいくのだろう?

「・・・・貴女は」

「ん?」

「・・・・怖い人ですね。」

「へ!?」

心から零れた言葉に、かなでが心底驚いたように若草色の瞳をまん丸く見開いた。

その仕草が、少し前に感じた感覚とあまりにかけ離れた子どもじみた仕草で、芹沢は知らずに微笑んだ。

「いえ、独り言です。気にしないで下さい。
それより、練習はいいんですか?」

「え・・・・あっ!!」

芹沢に言われて時計を見たかなでは慌てた声を上げた。

「もうこんな時間!?わ〜、いけない。またハルくんに怒られちゃうっ!」

「あの1年生にですか?」

「うん!優しいけど怖いの、ハルくん。じゃあね!芹沢くん!」

「あ、走って途中で転ばないように!」

駆けだしていくかなでに思わずそう声をかけてしまって、芹沢は自分で苦笑した。

それには気が付かなかったのか、「うん!ありがと!」と元気の良い声と共にかなでの背中が遠ざかっていく。

・・・・そして、かなでの姿が完全に菩提樹寮の庭から消えた後、一人残された芹沢はため息をついて花壇に目をやった。

向日葵、鉄線、笹百合、野薔薇・・・・色とりどりに今が盛りと咲き誇った花々が目にも鮮やかだ。

けれど、大きく開いている花たちの間にある小さく縮こまった蕾に目をとめて芹沢は口角を上げた。

今はまだ緑色にしか見えないこの小さな蕾は何色の花を咲かせるのだろう。

どんな花びらで、どんな形の花を。

「本当に・・・・怖い人だ。」

小さな蕾を一撫でして、芹沢はそう呟いた。

―― 近い未来、開くであろう彼女の「花」に、願わくば大輪の花のような先輩達が惹かれなければいい、と望み薄な期待を抱いて。















                                                〜 Fin 〜





















― あとがき ―
地味・・・とか呼び間違える芹沢くんが好きです(笑)
ゲームをやっていると先輩’sがかなでちゃんにちょっかいを出している横から、
さりげなく二人で料理とかして抜け駆けとかしてくれそうなので。